真実を知る者
久しぶりに長い文章を書いてみたい様なそんな気分です。
じっとする時間があると物を考えてしまう性分のようで字にしたくなるのでしょうか…
そう考えると今の今まで『じっと物を考える時間』がなかったということになりますね。
それがいいのか悪いのかは別にして、物をじっと考える時間が今側に居るようです。
わたくしはいつの頃からか『忙しい』という言葉がすきではなくなりました。
そういえば母が昔から『忙しい』という言葉を嫌っておりました。
わたくしが『忙しい』と申せば『忙しいというな』とよく咎められたものです。
自分に都合のいい、便利のいい様に使っていたからだと思います。
昔の師も『忙しいとは心を亡くすと書くから、忙しいことはよくない』と仰っていました。
わたくしが大好きな人も『忙しい』はずなのに決してそれをいうことはありません。
そんなこともあり、年々この身勝手な言葉を遣うことを控える様になりました。
忙しいのは皆一緒ですし『忙しいから』を何かにつけて理由にする人とはあまり一緒になにかをやりたいとも思いません。
その人のために時間を作れるかどうかが肝心なので『忙しいから◯◯』を頭に持ってくる人は、そもそも時間など作る気がないのだと思います。
誰かのために時間を作り、その人のために動きたいと思って行動することは
自らの意思に基づいたことですが、
そうでなく誰かに振り回されることほどつまらないことはないですね。
その様なつまらないことに時間は使いたくない・・・
そんな時は『忙しいから』を使ってもいいと思います。
裏を返せば『忙しいから』と言われた時は『あなたに割く時間はありませんよ』と
言われているのと変わらないということだと思います。
さて、これは前置きなのです。
わたくしは2017年の秋頃にトンデモないことに遭遇しました。それから約1年半が経とうとしています。
この約1年半というのは自分の中で大きく『まだ1年半なのか』という印象が強いですが…ただ、時の経過を思うと『もう1年半なのか』という焦燥感にも駆られます。
それだけ濃い1年半だったように思います。
色んな人に出会い知らない世界、知らなくてよかったことや価値観、光景を見た1年半。疎遠になった人もいますが、出会わなくてよかった人なんて1人もいなかったように思います。
交われば面倒な人、知り会わなければつらい思いをしなくて済んだ人
人と出会う負の面を挙げればキリがないですが、誰とも出会わなければ何事も起こらないでしょう。
そんなつまらない人生なら誰かに裏切られた方がましな気さえします。
良い方へ転がるか悪い方へ転がるかなんてやってみないと分からないのですから
人との出会いもそうだと思います。
ですが、わたくしはわたくしを裏切ったり傷つけたりした人を決して許しはしません。
その人が崖から落ちそうになっていても、手を貸すこともなく、一思いに崖から落としてやることもせず
ただ落ち行く様をぼんやりと見ています。
自分にとって大切な人のためであれば身命を賭します。受けた恩も忘れることはありません。
最近、誰かに裏切られたからこの様なことを思い書いているというワケではないです。
これは常に思っていること。
だけど強いていうならこういうことをぐるぐると考えてしまう要因にぶち当たってしまったことが少なからず関係しているのでしょう。
じっとする時間、たまには良いかもしれないけれど自分にはあまり向いていない様です。
《おもしろきこともなき世をおもしろく》
これも常に思っていること。
パッとしない気分は置き去りにして、そんな毎日になるように日々を…雷電の如く力強く歩んでいこう。
終わり